1983年に石垣島・白保の海と出会った魚住は、金武湾で伝え聞いていた海の豊穣と共にある暮らしが今も生き続けていることを知り、海とその暮らしを守ることに全力で行動を起こしました。彼女のイメージと行動力は際立っており、海と島・自然に寄り添って暮らす人々への支援を何よりも大切に考えていました。組織に頼ることを嫌い、すでにその時期から白保の海人の採る天然もずくを自力で買い上げながら全国の産直団体に購入をお願いしてきました。もずくの売り上げは結果的に活動資金になりましたが、彼女は美しい海が育む天然の海草の美味しさが人々に訴える力があることを確信していました。真南風の前身としての「海と女たちの会」はすでに島の産物が自然とのバランスを考えた経済へ、そして自立に繋がるということを予見していました。
彼女はそれらを愛し、心を込めて多くの女性たちに届けたいと願い、また同時に沖縄から生まれた「美」を深く愛していました。美しい織物・素朴な焼き物を特に好んでいつも身の回りに置き、会社を「食と工芸・真南風」と命名しました。
彼女の優しさは常に厳しさと一体でしたが、生産者へのまなざしはいつも一方的に優しかった。彼女に厳しく叱責された想い出を持つものも、慈母のような面影しか思い浮かばないものも共通して深い愛情を注いでもらったものとして記憶に残っています。彼女の強い想いがたくさんの人の心を動かし、真南風の縁を紡いできました。
私たちはこれからもその想いを大切に子どもたちや、またその子どもたちに引き継いでいきたいと願っています。
(真南風 夏目ちえ談)